2015年09月10日

泣きたい朝

大学の時、2年間は下宿生活をしていました。
下宿先は12名程の収容で一部屋6畳。
下宿というものは本当に窮屈で、楽しめませんでした。

他の下宿先は違ったらしいのですが、
毎週金曜は朝も夜もカレー、
下宿のおばさんが料理作る気がなければ勝手に肉焼いて
食べてと材料と鉄板がテーブルの上に・・・
土日はお風呂なし。ご飯もなし。
お風呂なんかは大きな風呂が壊れてるからと、
下宿のおばさんの家の個人風呂。
本当に我慢で暮らした2年間でした。
本当は1年で出ようと思ったけれど、
バイトしたお金でどうしても運転免許がほしかったので、
あきらめて2年間我慢しました。
どうしても出たかったので2年目は引越し費用を必死にためました。
1年契約だから、途中で出たくても仕方ないのです・・・

そんな下宿先でのこと。
今もよく聞きますが、中島みゆきの「泣きたい夜に」
という歌が好きでよく聴いていました。
当時は今みたいにパソコンが出回ってない時代で、
録音するならカセットテープの時代。
CDのリピート機能を活用して繰り返し聴いていて、
朝の目覚ましにも活用していました。

この歌をまわりに迷惑かけず、朝から流れるようにセットして
寝た次の朝・・・
あまりの衝撃に飛び起きちゃいました。
この歌は彼女の「生きていてもいいですか」という
タイトルのアルバムの2番目に収録されていて、
1番目はあの「うらみ・ます」なんです。

半分寝ぼけてセットしたらしく、朝の目覚ましで
「うらみま~す~」と歌われ、しかも小さくしてたはずの音が
反対にねじったらしく大音量。
下宿中に響きわたりました・・・・・

その日の朝は恥ずかしくて朝食食べに行けませんでした・・・・・

そもそもそのCD,真っ黒い紙に生きていてもいいですかと
白文字で縦書きにかいてあるんです。
それを買ったのが高校のとき。たまたまラジオで聞いた
「泣きたい夜に」という歌を探してたらそこにしか入ってなくて、
当時は買うのにも勇気入りました・・・・・

今なら平気で買っちゃうのですけどね。









at 16:07|PermalinkComments(0)Wonders 

2015年09月01日

ペットの名はじんこちゃん

母の実家のすぐそばに、
とっても仲がいい老夫婦が住んでいました。
午後3時を過ぎると決まって家の前の石いすに
座って小学生が道で遊ぶのを見ては
二人で微笑んでいました。

微笑むだけの老夫婦でしたが、
いつしか話しかけてくるようになりました。
いつも変な話ばかりするので、最初はみんな「うそだ~!」
と言ってましたが、真剣に話すじいさんの話をばあさんが
うなずいて聞いてるので、変な話も本当のことかなぁ
なんて思うようになってしまいました。


ある日のこと、「昨日宇宙人に会ったよ」と話すじいさん。
詳しくたずねると、学校に行ってる時間帯に会ったらしく、
「UFOに乗せてもらって、
     宇宙連れて行ってもらって
          飴を宇宙人からもらった」
なんて言うのです。その飴をくれるっていうので、
みんなでもらいました。ミルク味のその飴。
宇宙人もミルク好きなんだねぇとみんなで話してました。

宇宙人に会ってみたいのでどうしたら会えるか聞いたら、
朝6時にきてくださいと空に向かってお祈りそればいいと言うのです。
みんなまともに信じてしまって、学校で「今日お祈りした?」
なんて会話が頻繁でした。
朝6時にお祈りする日々がしばらく続きましたが、
宇宙人どころかUFOさえ見もしませんでした。
本当は見てないのだろうけれど、
「朝UFO見た」なんて言う子もいました。
当時は自慢げに話すその子が
うらやましかったりしたものです。
見れていいなぁ・・・と。

またある日、
裏山にはお化けがでるといったこともありました。
「夕方4時くらいが出やすい。」
と言うので、お化けを捕まえようと虫取り網を持って
裏山のお墓の近くでみんなで隠れてたときがありました。
いざ向かうと4時で明るいとはいえやっぱり怖い。
「出ませんように・・・」心で祈りながらドキドキ。
いくら待ってもでないので帰ろうとしたとき、
「あそこ・・・」と指差して震えてる子供がいたのです。
髪の長い白服の女の人・・・
みんな一目散に逃げ出しました。そしてじいさんに、
「でたよ~」と報告にいくと、「ほら、でただろう・・・」
と自信に満ちた顔で言うのです。
その時は気付かなかったけど、あれはきっとばあさんです。
ばあさんがお墓の付近で何をしてたのかわからないけれど、
じいさんと2人で脅かしてたのかな?

そんなじいさんとばあさん、あるとき「じんこ~」
と大きな声で叫んでいるのです。何があったのかと思い
聞くと、ペットを飼い始めたがなつかないと言うのです。
身体が透き通っていて綺麗だとか、
丸くて小さい姿がかわいいとか言ってるけれど、
動物の気配がしないのです。
みんなで「じんこちゃんみせて~」と見せてもらいに行きました。
すると裏庭に連れて行かれたのです。
小さな桶の中を指差し、「ほれ、そこにいるよ」言うのです。
それは小さな虫でした。
一生懸命「じんこ、ほれ泳げ」とか
「こっちこい、じんこ」とか言ってるので、
みんなで「じんこ~、こっちこっち!」
なんて言ったものでした。
小学校1年生だったその時は
それがなんなのかわからなかったけれど、みんなが
「きっと宇宙人からもらったんだよ」というので、
それを信じてました。

少し大きくなって気付いたのですが、
あれはミジンコ・・・

「じんこ・・ちゃん・・・」
思い出したようにつぶやいてしまいました。
その時、あれも騙しだったか・・・
と思わずにはいられませんでした。
ミジンコがなつくわけがない・・・

結局あの老夫婦に騙されっぱなしでした。
子供が大好きで、いつも微笑んでいたあの姿を
今でも時々思い出します。














2015年08月30日

一夜変身、傲慢無礼

中学の文化祭前日・・・

ポースターと写生画がまだできてなくて、
家に持ち帰って作業してました。
ポスターは「水」をテーマにして
水源の保護のポスターを描き、
写生は、海に浮かぶ船を題材に描きました。
鉛筆で書くまではうまくいくのに
絵の具を塗ったとたんに
ダメになるのはどうしてでしょう・・・

思った色が作れないのが原因のような気もします。

色作りって重要ですよね。
普通に色を塗ると
とにかくへんてこな作品に仕上がってしまいます。
だから色はそんなにつけないように薄くうす~く
仕上げました。鉛筆のあとが残るくらいのうすさです。
「色が薄い!」と当時の美術の先生の評価は最悪。
「下手ですね~もっと色を出しなさい!」
「私だったらそんな塗り方しないわよ。最悪の絵ね」
やたらと人の作品にケチつけるその先生が大嫌いでした。
でも、なにを言われてもめげずに作業を続けました。

納得いくものを作ってると時間がたりなくて、
家に持って帰ってはきたもののとうとう夜中・・・

四苦八苦してたら、たまたま帰ってきてた父が
「そろそろ寝たら」と声をかけてきました。
明日文化祭なのにまだ作品が仕上がってないことを告げると、
「ポスターはもう十分だから写生画をやったら」と父。
やっぱり父も薄い色の絵を見て未完成だと思ったようです。

写生画はそれで完成で、ポスターがどうも気に入らなくて
仕方ないことを話すと、アドバイスをくれました。
一通り作業が終わるともう2時。
やればやるほど変になるのであきらめてその日は寝ました。

次の日の朝、納得いく作品ではなかったけれど、
ポスターと写生画を持って学校へ行こうとしたとき、
その絵を見て血の気が引きました。

ポスターは描いてもない老人と子供がどでかく貼り付けられていて、
お年寄りを大切にと言う文字・・・
写生画にいたっては、うすーく仕上げてたのに
ブルーナも真っ青のばりばりの原色べたぬり。
「よくなっただろう?」と父。
もう半分泣きそうでした。
寝た後に父が勝手に描き直してたのです・・・

文化祭当日なので、もう描き直すこともできません。
余計なことを。。。。。しかも美術得意なんて嘘ばっかり。
学校を休みたかったけど、仕方ないのでその絵を持って
登校しました。当然笑われました。

美術の先生も、半分あきれた顔してましたがどうすることも
できないのでそのまま飾るはめに・・・
早く文化祭終われ~とこの時ほど思ったことはありませんでした。

美術の先生は、そのべたぬりの絵が本当に嫌いだったらしく、
上手な人と比べてばかりいたので、もっと嫌いになりました。
時間内に仕上げられないのもいけないのですから、
父を責めるわけにもいかず・・・
どうでもいいから早くその話題は葬り去ってほしかったです。

年が明けて3月、先生方の移動の時期がやってきました。
その美術の先生も移動で、これでせいせいすると思ってたら
最後の最後まで皮肉たっぷりの挨拶・・・
「ベタベタ絵の具を塗るのも人生、描いた上から何かを貼るのも人生。
だけどそれは恥の上塗りでしかないので、なんでも隠さずに
正直に生きましょう。」
あの言葉はきっと文化祭のときの自分のこと言ってるんだな・・・
敏感に感じてしまいました。
それにいたるまでの経緯も知らないくせに、
ただダメな奴と決め付けるその先生。
本当に大嫌い。

最後にマジックをすると言い、
「ハンカチを出して、手に持って高く上げてください。
12の3ですばらしいことがおきます」

みんながハンカチを持って上にあげるのをみて、

「さぁ、いっせいに手をふってみて!
    12の3!はーい、
   私へのはなむけありがとう。
さよならとはこうするものなんですよ。ではさようなら」

みんなまんまと騙されハンカチをふり、その先生にさようなら
をしてしまったのです。
みんな唖然としてました。

ますます大嫌いになってしまいました。





















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2015年08月20日

ドナドナ狂と飴3種

小学校のとき、クラスを外されて音楽を専門に教えていた
先生がいました。音楽室からは甘い香りがしていて、
ついフラ~っと立ち寄ってしまうことがしばしばありました。

その先生はほとんどの時間音楽室にいました。
甘い香り=飴で、もしかしたらもらえるかもという期待で
先生に近寄りましたが、さすがに飴をくれることはなかったです。
しかし・・・飴もらったという子がちらほら出てきたのです。
飴をもらった子に聞くと、
「おいしくない飴だから、もらわない方がいいよ」
と話すのです。どんな飴なのだろうと思い、
友達と何度も先生の所に行くけど、なかなかくれません。

その先生は「ドナドナ」をこよなく愛していて、
自分の演奏に酔いしれてたり、授業中は決まって歌わされました。
「またドナドナ・・・」きっとみんなそう思ってたでしょう。

ある日の放課後、音楽室の近くを通りかかったらその先生が
「ちょっと音楽室きて」と話しかけてくるではありませんか。
なんだろうと行ってみると、
「ドナドナ歌いましょう」と言うのです。
「え~ドナドナ~」正直な感想です。
もういいよとみんな思ったに違いありません。
嫌々歌ったドナドナ。
歌い終わったら満足したかのように、
「ありがとう、お礼」といいながらポケットから飴を出したのです。
それはニッキ飴、醤油飴、塩飴・・・
さぁ選べと言われても、子供には人気のない飴ばかり。
みんながどれにするか選んでいると、
「選びタイムは終わり~」とポケットに飴をしまい、
またドナドナを引きはじめたのです。
また歌わされては大変と、さっさと帰りました。

次の日、別の子がつかまってドナドナ歌わされてました。
くれるのかどうかもわからない飴3種。

どうしてそんなにドナドナ狂になったのか、
飴の意味はなんなのか、さっぱりわからないまま
卒業を迎えてしまいました。

あの先生はまだドナドナ狂なのかな・・・






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2015年08月10日

なくなった眼鏡

ぴっぴの話を前に書きましたが、その続きなど・・・

当時の校長は、習字の時間を持っていました。
相当な自信を持っていて、子供が書く字に
「こんな字じゃだめだ」と切り捨てるのです。
当然子供は嫌がっていました。
「習字も先生がいい!校長なんか・・・」
とよく言われました。

そんな子供たちがぴっぴのことで大変なことを
しでかしちゃったのです。
校長の大事な筆をトイレに落としたり、
(ボットントイレだったのです)
習字の時間をボイコットしたり。

さすがにそれはよくないので、厳しく注意しました。
気持ちはわかるけれど、ものを取ったり
ボイコットはよくないことですので。

それ以前にもぴっぴのお墓を校長室の窓から見える位置に
大きく作ったり、大きな声でお経唱えたりしてたので、
ぴっぴのことがあってから校長もこの子たちのことを苦手なようでした。
一言誤れば、子供たちも校長もすっきりできたのに・・・

でもこの後不思議なことがおきたのです。
校長の眼鏡がなくなったのです。
聞くと老眼とかいろいろ入っていて、
1本6万もする眼鏡なんだそうです。

当然子供たちも疑われたけど、そんなことするわけがないこと
を必死で訴えました。習字の時間の後だったらしいので、
筆やボイコットのこともあったので疑われても仕方なかったのかなぁ・・・
校長の怒りはくすぶってましたが、
どうしても見つからない眼鏡を探すより新しいのを買ったようで、
「なくなったせいでまた6万も出したよ」とひがみっぽく言ってました。

でもその眼鏡もあっという間になくなりました。
今度は校長室で・・・これは完全に子供のせいではありません。
その眼鏡も結局出てきませんでした。

またまた6万の眼鏡を購入した校長。
3本目ももののみごとになくなりました。
「一体どこへ行ったのか、検討もつかない」
とこぼしてました。

子供に一連のことを話したら、「ぴっぴのたたりだ!」
とみんなが口々に言うのです。
たたりなんてあるかないかわかりませんが、
「これはもうそうなのかもしれないね・・・」と
話した記憶があります。

結局4本目の眼鏡を購入しましたが、またしても
なくなった校長なのでした。

本当に不思議な出来事でした。

















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2015年08月01日

オレンジ親子丼

グレープフルーツに砂糖をかけて食べる、
これは子供の頃食べたことがある人多いのでは
ないでしょうか。

父が海外に仕事で行ってたので、
母が好きなサンキストオレンジ(バレンシアオレンジ)
を箱ごとよく宅配で送ってきてくれました。
母はそのまま食べるのですが、妹と2人でよく
グレープフルーツのように砂糖をかけて食べる
というのをよくやりました。
手がベチョベチョになるのですが、とっても美味しい。

当時よく作ってくれた母の料理に、
鶏肉のレタス包みオレンジソースがけと、
親子丼があります。
オレンジソースがけが美味しくて、
また食べたいとせがんでましたが
なかなか作ってくれませんでした。
親子丼は頻繁だったのですが・・・

そんな小さい頃を思い出して、
大学生の頃母に親子丼を作ってほしいと頼みました。
が、なんかあの頃の味と一味違うような・・・
そんな話をしたら母が、
「あたりまえじゃん、サンキスト買ってないもん」
と言うのです。何が関係ある?
と思い聞いたら、オレンジソースが失敗したら
それ捨てるのがもったいないから親子丼にしてた
というんです。あの頃食べてたのはオレンジ親子丼・・・

知らずに食べてたとはいえ、この母は・・・
と思わずにいられませんでした困った

まずいと思わなかったのは味覚音痴だったから
なのかなぁ・・・悲しい












2015年07月30日

一本まずら

母は漬物が大好きです。
必ず何かしらの漬物が食卓に並びます。

そんな母は自分作ることを覚え、
いろんな漬物を漬けるようになりました。
その中のひとつが沢庵。

この沢庵は、沢庵 宗彭(たくあん そうほう)
というお寺の住職が広めたという説があります。
元々「じゃくあん漬け」と呼ばれていて、
「混じり気のないもの」という意味でした。
後に沢庵宗彭の存在が出てきたことにより、
「じゃくあん」→「たくあん」→「沢庵和尚の考案したもの」
という考え方が広まったというわけです。
他にも、「たくわえづけ」が転じたものという説もあります。

沢庵和尚は、大徳寺の住職だった時に、
幕府の行政に抗議して1929年出羽の国
(山形県上山)に追放。
その地で農民たちに、
塩と米糠を使った野菜の貯蔵の一つとして漬けたのが大根。

4年後にやっと許され、
徳川三代将軍家光公の重用を得て、品川に東海寺を開山しました。

沢庵宗彭が創建した東海寺では、初めは名も無い漬物でしたが
ある時徳川家光がここを訪れた時に出したら気に入り、
『名前がないのであれば、沢庵漬けと呼ぶべし』
と言ったと伝えられています。
なお東海寺では禅師の名を呼び捨てにするのは
非礼であるという考えから、
「百本」という呼び名を用いています。
因みに百本は、乾したり漬けたりするときに
一桶に入れる単位だったらしいです。

沢庵和尚のお墓は、品川区北品川の『東海寺』にあるそうです。

そんな沢庵。母もたいそう気に入ってる漬物の1つです。

でもね、夕食のとき長い沢庵を切らずに
どさっと皿に一本出すとはどういうことでしょう。
母は「一本まずら食べるの夢だったんだぁ」
と言いますが、それしかおかずがないのも嫌なものでした。

一本まずら・・・一本全部という意味です。

それが3日続いた日には、
「何故毎日沢庵?違うのにしてよ!」と
文句を妹と2人で言いました。ひどいですよね・・・

でも一本まずら美味しそうに食べる母の顔・・・
幸せそうでした。



2015年07月20日

GW金沢

珍しく父がいた中学1年の時のGW。
外へ出たがりの母が父にどこかに行こうとせがみ、
父が母にどこに行っても人が多いから嫌だと言う・・・

そんな父と母を妹と観察していました。
たぶんどこにも行けないという妹の予想は外れ、
電車で金沢に行くことになったのです。

次の日の朝早くに出発しましたが、
金沢に着いたのはお昼近。
さぁホテルにいこう!と張り切る母に父はストップをかけました。
父は現地でホテル探しをしようとしていたのです。

さすがGWだけあってどこもいっぱい。
キャンセル待ちに望みをつなげ、母が行きたがってた兼六園へ
向かいました。その道中も混んでいてタクシーが進まない・・・
やっと着いたと思っていたら、
父はキャンセル待ちのことしか頭になかったようで、
「時間無いからもう駅にむかうよ」と
兼六園もろくに見れずまた金沢駅へ逆もどり。

もうそれだけで結構疲れてしまいました。
結局金沢でホテルは取れず、急遽夕方の電車で帰る事に
なってしまいました。むくれる母。泣き出す妹。

どうしてよいやら・・・

初めての金沢旅行は楽しい思い出にはなりませんでした。。。



at 13:30|PermalinkComments(0)travel 

2015年07月10日

あれ?川村先生??

妹の担任だった川村先生。
何年か前に亡くなってしまったとうわさされ、
まだ若いのにお気の毒・・・と思っていました。

学校の研修会でのこと。
理科の研修で、アクリル板で水槽を作り、
晴れてたらザリガニを釣りに行って、
できた水槽でザリガニを飼うというものでした。

水槽はすぐにできました。
問題はザリガニです。
ザリガニって釣れるの?と思ってたので、
本当にいい体験でした。

パンの耳やさきいかをえさに沼地に放り投げると
あっという間にザリガニが釣れるのです。
びっくりしました。
自分の足や靴下、やかんしか釣ったときないので、
気持ちは うほほ~い でした。

そんな中で話しかけてきた先生がいたのです。
亡くなったとうわさの川村先生でした。
もうびっくり。

川村先生も、まさか僕だと思っていなかったので
びっくりされてました。
直接の担任じゃなかったけど、嬉しい瞬間でした。

妹に川村先生のことを話したら、
「え~生きてたの!」
と失礼なこと言ってびっくりしていました。
亡くなったと思ってたから当然です。

その川村先生と話しながらザリガニ釣りをしたこと
昨日のように覚えています。
楽しい研修だったなぁ。

釣ったザリガニを学校に持っていくと、
男の子たちが大喜び。でも、ほっとくと異臭を放つ
ザリガニたち。当番を決めたにもかかわらず、
おろそかになる子供たち。
教室中くさいのなんの。

くさいのに触るのが嫌で逃げ帰ってしまう子供を横目に、
水変えをした日々。

そうこうしてたある日、子供たちが目覚めたのです。
なんでそうなったかはよくわからないのですが、
世話をするという意味が分かったらしいのです。
「先生、ごめんなさい。今日からちゃんと面倒見ます。」
あれはなんだったのかなぁ・・・
毎日世話をしてる僕の姿を見て学んでくれたなら
そんな嬉しいことはないのですが・・・

ザリガニが短命だったことを知り、
ザリガニより人になついて長生きするものを
飼ってみたいという子供たちの希望で、
ぴっぴを飼う事になったのです。
世話をする意味を知った子供たちに面倒見てもらえて、
ぴっぴは幸せものだったなぁ・・とつくづく思います。

研修で偶然会って生きてることを証明した川村先生ですが、
今また亡くなったとうわさが流れてます。
本人は健在なのに・・・

彼女の人生になにがあったのか、
妹の担任だったときに何があったのか、
妹に聞いても教えてくれないし、
川村先生に聞いても「なんでだろうね?」
というばかりで話してくれません・・・・・
何がそう言わせる原因なのだろう?ん~気になる・・・

at 15:56|PermalinkComments(0)a school 

2015年07月01日

デロッとオレンジ

大学のときの下宿先でのこと。

下宿先のおばさんはあまり料理が得意ではなかったらしく、
毎日が同じようなメニューでした。
ごはん、味噌汁、サラダ、たまご、肉か魚。
肉は決まってしょうが焼き。魚はアジフライ。
たまごなんかは、たまごかけご飯用にただ
皿に入れてるだけ・・・
これじゃ飽きるので、自分で弁当を買いに行く人も
いたし、食べに来ない人もいました。

そんなおばさんが「今日はご馳走だよ!」と言って
出すものがありました。
オレンジのデロっとしたもの・・・

ホヤ貝です。
特に調理するわけでもなく、
いつもオレンジ色のデロっとしたまま出すので、
見た目がよろしくないとみんな残すのですが、
ホヤ貝なんて食べたことなかったので
初めて食べたのですが美味しくなかった・・・
でもごちそうなんだよね?と疑わずに食べてたら先輩が
「よくそんなもんたべれるなぁ。まずくないかい?」
と言うのです。まずいけど仕方ない・・・・・

ものぐさおばさんは、ポットにティーバックを入れて
沸騰させてお茶を作っていたのですが、
そのティーバックの中におばさん愛用の
便秘に効くお茶が入っていたのです。
おばさんが間違ってポットに入れてお茶を作ってしまい、
知らずに飲んだみんなはピーピーになってしまいました・・・

おばさんはアハハと笑ってたけど、たまったものじゃありません。

今日はご飯作る気がしないからと、
一人500円くれた日もありました。
こんなんでいいのか?とよく思ったものです。

おばさんには息子さんがいて、決まって夜11時頃
帰ってくるのです。
台所から「またこれかい!これ買ってくるな!」
と息子さんの声がよく聞こえてました。
きっとホヤ貝をみんなが残すので
息子さんの食事にまわしていたのではないかと思ってます。

おばさんはきっともったいないと思ったのでしょう。
息子さんにしてみたら、大迷惑な話ですよね・・・

オレンジのデロッが山盛りなんですから・・・

好きな人にはたまんないだろうけど、
初めての人がホヤ貝を食べるには、
ちょっと勇気いるかもしれません・・・