2009年03月

2009年03月31日

シューメロン

料理をするようになったのは、高校に入ってからです。
東京のいとこに促され、はじめて作ったのはくらげの中華サラダ。
くらげなんて食べれるのか、そもそも売ってるのかと疑問に思いながらも
一緒に買い物に行ったのを覚えています。
ちょうど春休みで、いとこが新潟に遊びにきてた時でした。

「ツナ缶ある?」って言ういとこに「なにそれ?」って言ったら、「なんでわかんないの?」と逆に聞かれなんて答えていいかわかりませんでした。家では「まぐろ缶」と呼んでいたんです・・・ツナ・・・今でこそわかるけど、当時はわかるはずもなく、「これだよ、あるじゃん。」と言ういとこに、「なんだぁ、まぐろ缶のことかぁ。」と言ったら大笑いされました。
そう呼ぶ人っていないのかなぁ?

そんなこんなでいとこがいる間に感化され、料理を作るようになっていったのです。それが本当に料理なら、オレンジ麺だけのパスタとはとっくに縁がきれてたのでしょうけど、おかし作りにはしってしまったのです。

いろんなお菓子を作ってるうちに母も参戦してきました。
シュークリームを作ろうってことになって、一緒に作ってた時のことです。
妹が友達を連れて家に帰ってきました。言わなきゃいいものを母が「今シュークリーム作ってるからちょっと待っててね。」なんて言ったのです。初めて作るシュークリーム。「失敗したらだせないじゃん。」と言ってるのに、「大丈夫。失敗しないから。」と言い張る母。その強気な姿勢も、だんだんと崩れてきました・・・膨らまないのです。シュー生地が・・・
ぺちゃんこのまま焼きあがったシュー生地。
「こんなの出せないよ・・・」と言うのに、「大丈夫。」と言って妹の友達にぺちゃんこシュー生地を出しちゃったのです。
味見したらメロンパンみたいな味がして、それをいいことに
「メロンパン焼きあがったよ~。」と大嘘・・・
唖然としてたら、妹の友達の声が聞こえてきました。
「メロンパン焼けるって素敵だね・・・」
食べて気付かなかったのかどうか、出した分はなくなってました。
帰り際、「またメロンパン作ってくださいね~」と言って妹の友達は帰っていきました・・・・・別の日・・・・
また妹の友達がやってきました。
「今日も張り切ってメロンパン焼くからね~。」
母は得意げにそういってのけました。
でも今度は膨らむ膨らむ。シュークリームの完成です。
「メロンパンじゃないんですか~?」の声に、「今日はこれ作っちゃったからこの次ね。」と言う母。その後何回か作ってはみたものの、ぺちゃんこにならない生地。「どうしたらつくれるのかしら~・・・」悩む母を見て笑ってしまいました。シュー生地じゃなくて、パン作りをやったらいいのに・・・
その後1度だけぺちゃんこシュー生地ができたものの
今だにどうしたらぺちゃんこになるのか研究している母なのです。
その名も「シューメロン」母特製のぺちゃんこシュー生地です・・・

きちんと膨らんだシュー生地はちゃんとシュークリームになっているかと言えばそうでもなく、いつも中身空っぽの生地のみなんです。母は甘いクリームがどうも苦手らしくて、ジャムやバターをつけて食べていました。

いとこが遊びにきてなかったら、こんな楽しい思い出なかったなぁとつくづく思う今日この頃です。

2009年03月30日

テレビの見方

テレビが与える影響ってのは本当に大きい。

小さいとき、レンジャー系の番組にはまっていました。
なんの番組かよく覚えてないのですが、鶏頭の花の化け物
にやられたヒーローがいて、その直後から「この花が悪い!」
と鶏頭の花に八つ当たりしてたことがありました。
憎んで憎んで仕方なかったあの頃。
今思うとおかしいものですよね・・・

おかしいテレビの見方をもう一つ。
小さい頃クイズ番組って、国民全員に順番にやってくるものだと信じていて、
特に毎週見ていた土曜日のクイズダービーなんかは、いつお呼びが来るのかと
いつも思っていたものです。それ以外のクイズ番組って、答えを書いてもその理由を聞かれるので、聞かれたらなんて答えよう・・・って真剣に悩んだり。
クイズダービーの後のドリフなんかでは、ありえない話なのにあそこでババンババンバンバンと踊るのが恥ずかしいから呼ばれませんようにと祈ってみたり。おかしな奴~と笑われるかもですが、小さいときは本当にそう思っていたんです。ありえないですよね・・・

ありえない話で、昨日お話した「だすかに」のおじさんの事を、小さい頃沢田研治だと思っていたんです。顔が似てたんですねぇ・・・今じゃその面影もないけれど笑いおじさんの仕事は歌手と思い込んでいて、
当時大人気のピンクレディのサインもらってきて~とせがんだときもありました。おじさんものりのりで、「今度もらってくるさ!」とか「歌の仕事は大変だよ。」なんて言うものだから完璧信じていました。
テレビに沢田研治が出ていると「おじさんだーと」大喜び。布施明好きの母は「そんなことあるわけないじゃん、顔がちがう!」ってちょっとムッとしてました。ただ一人おばあちゃんが味方してくれてました。
そんなありえもしないことを本気にしてた小さい頃。
変わり者ですよね・・・

そんな時代もあったのですが、今ではあまりテレビを見ない生活になっています。見ているといつまでも見てるのですが、見なくなるとどうでもよくなってしまいます。だから話題についていけないことがしばしば・・・



2009年03月29日

未確認?

大学の頃の話です。
お祭りの日、珍しく友達を連れて実家に行きました。
一緒に夕飯食べたり、神社に行ったり、夜店を見たり。
でもね、その神社でこんなことがありました・・・

神社には近くの親戚を誘って一緒に行くという風習があって、
その日も近くに住んでいる親戚(母の弟一家)と一緒に行ったんです。
友達は当然緊張していました。
一通りお参りがすんだ後、沢水を頂くのがその神社の特徴なんです。
順番を待って水を飲もうとしていた時のこと・・・
突然おじさん(母の弟)が「UFOだ!」と叫んだんです。
当然みんなびっくりして空を見上げました。
母も「ほんとうだ・・・」なんて言ってるし。
2人の見つめる先を見て唖然。
友達がポツリ・・・「あれ人工衛星じゃ・・・」
まわりが、まだ空を見上げていて気付かないうちにそそくさと帰りました。
本当に恥ずかしかった・・・

帰り道「あれは人工衛星だよ。」と言っているとおじさんが反論。
「だすかに、遅いUFOだって!」
友達はUFOより「だすかに」という言葉が気になったようです。
蟹を出してくれるのかと友達は聞いてきました。
実家の方の方言で「だから」というのを「だすかに」と言うんです。
きっとあの辺限定なんだろうなぁ。
友達は大笑い、緊張してたのも忘れちゃったようです。


大雪の日。
母について行った買い物先でのこと。
名前を呼ばれて大きな声で「は~い。」と返事して
駆け寄ったら、どこかのおばあちゃん2人が
「ひで~ゆきだね・・・」「ほんにひで~ゆきだ。」
と言ってたんです。「は~い。」と言ってそばにきたのを
不思議そうに見ながら「ひで~ゆきいつやむかねぇ」
「いや~まいったひで~ゆきで、帰らんないよ」
と話しています。自分が呼ばれたわけじゃなかった・・・
そう、名前は「ひでゆき」というんです・・・・
ちょっと恥ずかしい幼い頃の話でした。


2009年03月28日

遅刻という魔物

今でこそ遅刻はしませんが、昔は遅刻魔だったのです。
中学に入った頃からそれが続き、結構抜け出すまでに時間がかかりました。
一度どっぷりと遅刻にはまってしまうと、さも当然のようになってしまっていけません。高校に行ったら・・・とか大学に入ったら・・・とか思ったけれど、働きだすまで抜けませんでした。
時間の感覚がおかしいのでしょうね。あそこまで何分だから何時に出ても間に合う。そう思うのが一番いけないのです。
そう思っていてもどうしてか遅刻してしまう日々でした。

大学の頃のバイト先でのこと。
ちょっと太目の(女)同級生がバイトしたいとやってきました。
採用されたのですが、そこには同級生が4人もいて本当ににぎやかで楽しいバイトでした。夜10時から朝9時までのお弁当屋さんのバイトで、その同級生は10時から2時まで。夜のバイトは本当にアルバイトりで社員がいなく、たまにいても店長1人。天国でした。
その同級生のことを「おじゅん」と呼んでいたのですが、これまたよくつまみ食いするのです。それを見ていた友達が、「おじゅん太らせ計画」を実行しました。休憩で飲むコーヒーには砂糖5~6杯。2時で帰る彼女に、あげものたっぷり弁当を作り、しかもそのあげものは弁当に入れる前に油に浸すという手の入れよう。こんなの食べずに捨てるんじゃないの?と思っていたけど、決まって「お弁当おいしかった~」と報告するのです。もうびっくり。
友達は「帰ったら寝る前に食べた方がいいよ。」なんて言って渡してるし。
その彼女が大学の1コマ目に遅刻するようになったのです。
おなか壊してるんじゃないの?と話してたら違っていたのです。
英語の時間、遅刻した彼女が教室に入ってきました。
先生が「なんでちこくしたんだ?」と聞くと彼女はこう答えたのです。
「テレビでみた炊き込みご飯がおいしそうで、炊けるの待って食べてきたら遅刻しちゃいました。どうしても食べたくて・・・」
正直に話してるのですが、教室は爆笑でした。
その後もそんな内容の遅刻を続けていました。
当然彼女は太りました。
最後はどんぶりプリンを毎日作って食べてると言ってましたが・・・
今はどうなっていることやら?

そういえば二年前、大雪が降ってどうに車が前に進まず10キロの距離を2時間半かけて出勤しました・・・
これって大遅刻ですね・・・
遅刻は癖になったら続いてしまいます。気をつけねば困った


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2009年03月27日

声のいたずら

今でこそ声が低くなったかなぁ・・・なんて思うことあるけれど、
人にいわせると変わってないのだそうです。
小学生の頃と・・・

変声期があったのかなかったのかよくわからないのです。
普通小学校高学年~中学生で声は低くなるはずなのに、ならなかったんです。
当然周りからは変人扱い。
これには参りました・・・

家に電話がかかってきて「もしもし?」と出ると、
「あぁ、お姉ちゃんかね。お父さんいる?」と妹だと思われたり、
ひどいときなんか母だと思われ、知らない話を一通りされた後「母にかわりますので待ってください。」なんてよく言ったものです。
あんまりにも間違いが多く違いますって言うのが面倒だから、途中からはお姉ちゃんでも母でもはいはいと用件を聞いてさっさと電話を切っていました。
機械通すとなおのこと高くなっちゃうのかなぁ?

大学生のときのこと。
電話かかってきて出たら、一人暮らしの女と間違えられてしまい困ったことがありました。どうしても逢いたいというんです。男だと言っても信用してくれません。たまたま友達が遊びに来てて事情を話すと、今度電話きたらかわってと言うんです。なにか秘策があるんだろうなぁと思い、その通りにしました。
そうしたら裏声使って、「ピンクの傘とピンクのレインコートで○○の前で待ってるから。」なんていうんです。友達はどんな奴か見てみたいって衝動にかられてそんなこと言ったらしいのです。
見に行きましたとも・・・そしたら来たのはハゲオヤジでした。
声にだまされた方が悪いんだぁ~
そう思っていいですよね???

そんな若い日々を過ごし、そして今。
今だに機械を通すと高く聞こえるようで・・・
声をつぶす努力もしたのですが、かわりません。
もうこの声と一生付き合うしかないので、なんとも思わないようにしました。自分はなんとも思わなくてもまわりが・・・ってことよくあります。
仕方ないですよね。なんで声高いんだぁと言われてもなんて答えたらいいのやら。変声期がこなかったとでも言えば納得するのでしょうか?
慣れてしまえばなんとも思わないのでしょうけど・・・

今、インターホンでしか話したことない新聞屋さんに、奥様と呼ばれています。ん~参った悲しい





2009年03月26日

猫を飼った日

昔勤務していた学校でこんなことがありました。
車に引かれた猫を助けた児童がいて、一生懸命面倒を見ていたのだけれどお家の方が動物アレルギーだったのですぐばれてしまい、どうしようもなくなった児童が「先生・・・助けて・・・」と涙を流して助けを求めてきました。その猫は力もなくなり衰弱しきっていて、かなり危ない状況でした。
こりゃ大変だとばかりに獣医さんにかけこみました。
なんとか一命はとりとめたものの、誰が面倒見るの?という話になり、児童の家庭事情もわかってたのでとりあえず預かることにしました。
でも・・・家には最大の難所があったのです。
それは母・・・
母はすごく猫嫌いなのです。家のまわりでニャーニャー鳴く猫に、キンチョール持って走って行ったときは焦りました。猫にキンチョール・・・ありえない。とめるのが間に合って本当によかった・・・
そんな母がいる家で猫を預かれるのか不安でした。
幸い妹が猫大好きで、一緒にかくまってくれたのでことなきを得ました。それでも怪我が治るまでの数日間、かくまうのは大変でした。
日に日に元気になっていく猫を見て、飼いたいなぁと思ったけれどあの母がいるかぎり無理。妹は猫を飼いたいという夢を実現できて嬉しかったのでしょう。本当によく面倒を見てくれ、かくまってくれました。
別れの時泣いたのは言うまでもありません。
その猫は、クラスの猫好きの家庭に飼われることになったのでホッとしましたが、できれば一緒に暮らしたかった・・・と言うのが本音です。


また別の学校でのお話。
クラスで手乗りセキセイインコを飼うことになって、代表の児童と一緒に小鳥を選びに行きました。クラスに来たその日から手乗りセキセイインコはアイドルに変身しました。名前をみんなで「ぴっぴ」とつけました。みんなの喜んでいる顔、大事に思う気持ち、一つにまとまる心大きな大きなものを「ぴっぴ」は運んできてくれました。手乗りなだけあって、次から次へとクラスの子の手に乗ってはさえずり、みんなが本当にかわいがっていました。
そんなぴっぴがある日苦しみだしたのです。
休み時間に、「先生、ぴっぴが変だよ・・・」と血相をかえて何人もの児童が教務室にきました。とにかく暖めて様子を見ようと思ったけれど、様態は悪くなるばかり。年休を取って獣医さんに連れて行こうと思い申し出たのがOUTでした。校長が認めてくれななかったのです。
どんどん具合が悪くなるぴっぴ。子供たちは授業どころではありません。
なんとかしなければ・・・・・そう思ったとき保健室の先生が「私が獣医さんに連れていく。」と言ってくれました。
でもぴっぴがらみだと知った校長は、保健の先生の年休も認めませんでした。
どうにもならないまま数時間。
ようやく定時になり、一目散に獣医さんに駆け込みました。
ぴっぴがんばれ、みんなの祈りが通じますように・・・と祈りながら。
ぴっぴは必死に頑張ったのだけど、午後8時頃亡くなりました。
涙が止まりませんでした。

当時の校長は、生かすより死ぬのを見せるのが教育だと言って獣医に行くのを認めてくれませんでした。それが動物だからという理由で。
どんな動物だって生きたいと思っているにちがいない。人だからと言っていばる権利なんかない。もっと早く獣医さんに連れて行ったら、ぴっぴは長生きできたかも・・・と思うと悔しくて仕方ありませんでした。
死を教えるのが教育だ、当時の校長の言葉です。
でも生きることを真剣に教えることこそが教育だと思うのですが・・・間違ってるのかな・・・・
子供の前でボロボロ大泣きしながら亡くなったこと告げました。
「先生のせいじゃないよ・・・」
その言葉が痛くて痛くて・・・・今でも忘れられません。



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2009年03月25日

ゲーゲー

暑い夏の日のこと。
暑いときって冷たいものをがぶ飲みしたいですよね。
冷蔵庫開けて麦茶をがぶ飲みしたんです。
飲んでるときは気付かずにゴクゴク。
でも飲み終わったときのあの後味の悪さ。
なんだこれ?麦茶じゃないの???
後で母に聞いたらだし汁とのこと・・・
いつも飲んでる麦茶用のポットに入れておくから、
気付きもせずに飲んじゃいました。
ゲーゲー。。。。。
あれって本当にまずいものですね。間違ってビール飲んじゃったって話はよく聞きますが、まさかだし汁入ってるなんて思いもしませんでした。
また別の日。
朝確かに麦茶作っている母の姿を見てたので、安心して冷蔵庫から麦茶を飲もうとしたときのこと。確かに茶色の水だけどくさいんです。腐れちゃったのかな?まさかぁ・・・と思って一口飲もうとしたとき、
急にゲーゲときてもどしてしまったのです。
聞くとそれはしいたけのもどし汁だという・・・
飲まなくてよかった~困った
どうして家の母は・・・と思う夏の日でした。

嫌いなものって、どんなに隠してもわかってしまいますよね。
食べなくてもにおいだけでダメというものも少なくありません。
しその葉も大嫌いなうちの一つなのですが、おばあちゃんがまだ元気だった頃、食べなくてもいいから畑から取ってきてと言われ、食べないんだったらいいかなぁと思って畑に取りに行ったらにおいに負けてゲーゲー。
吐くって体力いるから疲れちゃうんですよね・・・

昔は緑色が大好きだったんです。なんでも緑と言っていました。
おばあちゃんが卵焼きにしその葉を入れたとき、中に何が入っているのかしらずに「みどりのたべる~」って言って食べた瞬間ゲーゲー。
しばらくの間緑嫌いになっていました。

修学旅行で行った京都でのこと。
お茶が好きで宇治茶を買おうとして入った店で試飲してたんです。
宇治茶だろうと思い飲んだらなんとしそ茶。
一目散にトイレに走っていきゲーゲー。
班の人とははぐれるし、わけわかんないところ歩いてやっとの思いでたどり着いた旅館。今思い出しても恐ろしい・・・

しその恐怖は大人になった今でも続いています。
ランチのサラダってシソドレッシングかかってることが多いのです。
何度失敗したことか・・・
ゴマだよね・・・って食べてはゲーゲー。
確かめてもらってから食べるようになりました。

でもね、一番ゲーゲーだったのは、嫌いな人の汗が口に入ったとき・・・
マラソン大会かなんかで隣になった人がよろめいて、ぶつかってきたときにしょっぱい味がしたんです。最初自分の汗と思ったのですが、髪の毛が口に・・・しかも自分の髪は短いのに長い毛・・・ぶつかったとき髪が口に・・・そして汗まで・・・まさにゲーゲーでした・・・
 



2009年03月24日

お洒落?素朴?

いつもと違うお店に入るというのは、ちょっと勇気いりますよね。
特に理容室とか個人店とか。
店の人は気軽に入って欲しいと思ってるのでしょうけど、
誰かと一緒ならまだしも一人ならかなり入りづらいものがあります。
いつもと違う理容室に入るときなんか、
何回も店の前うろちょろしたりして、まるで不審者です。
おしゃれな所だと特にそう。そして無難な店に行って髪型失敗・・・
こんな経験してる人いますよね??

小さい頃家の近くに「エン店」と言う店と「ボー店」と
言う店がありました。「エン店」は入りづらい・・・
しかも品物選んでると、「はやくしてよね~!」なんて言われるものだから、
あんまり行きたくない店でした。「ボー店」の方はとっても気がよい
夫婦でやってるのでいつも子供たちが多くいました。
えんきょやは大人、ボー店は子供とはっきり分かれてたのですが、いつのころからかエン店の子供獲得作戦がはじまり、駄菓子やアイスが豊富になっていました。当然子供の流れはえんきょやに。
でも、エン店行って「はやく選びなさい!」とか「まだ~?」とか言われるのが嫌であんまり行かなかったのですけどね。
それでも頑張ってたボー店でしたが、ある日突然お店を閉めちゃいました。なんでだろうと思ってボー店ファンの子供たちで「どうして閉めちゃうの?」と聞きにいったことがあったんです。そうしたら・・・・
「店にカラスがきて、店先に並べてた卵取られちゃってね・・・」
って悲しそうに話してました。本当かどうかはわからないけど、きっとエン店のせいだよねって話してました。
そのエン店。ちゃんと掃除してるのかどうか、駄菓子の所にほこりがあったり、アイスは半分溶けてたり・・・次第に行く人も少なくなったのは当然です。一度こんなことがありました。
合計325円と言われて1025円だしたら、
「あら~この子計算できないのかしら。」だって。
それが決定打でそれ以来顔出していません。
そんなえんきょやですが、今はちょっとした雑貨と自家製笹団子で営業しています。

ある時期まで一人で外食できない派でしたが、今は居酒屋なんかにも一人でいけるようになっちゃいました。それでもやっぱり行きにくい店って数多く存在しますよね・・・

そうそう、いつも思ってたのですが、何年か前に新潟中華街構想ってのがあったみたいで、古町の一角を横浜の中華街みたくしちゃおうっていう構想だと思ったけど。。。違ったかな?新潟は、イタリア料理店日本第一号のイタリア軒があるのだから、そこを中心にイタリア街を作った方がいいのに・・・なんて思ってました。新潟イタリア街・・・ちょっと素敵ですよね。
昔からあるお店も素朴でいい雰囲気だしていますが、イタリア街実現しないかなぁ・・・無理だろうけどね笑顔


2009年03月23日

魅惑の○○

この前のお話で、タイトルがわからない歌のこと書きましたが、なんとタイトルがわかったのです。「ひげなしゴゲジャバル」というタイトルで、「あなたのメロディー」(アマチュアによる作詞・作曲コンテスト番組)に応募した主婦の方の作品なんだそうです。びっくりですね。

びっくりと言えば前にこんなことがありました。
病院での待合室で、外人さんが(たぶんロシア人の方だと思います。)流暢な日本語で「ない・・・ない・・・。」と何かを探していました。何を探しているのだろうと思っていたら声をかけられてしまいました。「あの・・・私のサッチーしりませんか?」一瞬耳を疑ってしまいましたが、何度も「サッチー」と言ってるんです。ちょうど野村沙知代のあの写真集が出た時期だったので、この人あれ買っちゃったの?と思わずにはいられませんでした。驚いていると「サッチー~」と言いながら外に出て行ってしまいました。あれは何を探してたのか、今でも謎です。財布でも捜してたんでしょうか?それにしてもサッチーって一体・・・あの写真集買った人ってどれくらいいるんでしょうね?

一体何?と思うもので「よもず」と言うのがあります。
家の母がよく「よもず着れ~。」なんていうけど、よもずって何のことかよくわからなかったんです。聞いても「よもず」としか答えなくて、しかも冬場じゃなく夏場によく言うので夏の着物なんだろうなぁと思っていました。
最近になってこの「よもず」が何かわかりました。
すててこみたいなひざまでくらいのダボダボズボンのことを「よもず」と言うらしいのです。びっくりですね。夏場でも半ズボン履かないから、こんなこと言ってたんだなぁと思いました。半ズボンって好きじゃないんですよね・・・
だからと言って「よもず」も履く気になれず・・・
母は短パンを細工して「よもず」と言ってたみたい。
「よもず」って言葉はきっと昔から使ってた言葉なんだろうなぁ。
同じもの何枚も作っちゃってますが、さすがに履けません・・・






2009年03月22日

悲しき「す」

家の母は肉が大嫌いで、小さい頃肉料理はほとんど出ませんでした。
それはいい。
母は麺類が好きでよく作ってくれたんだけど「す」なんです・・・
「す」とは具なしのことで、またそれが当たり前とずっと思ってました。
「す」うどん、「す」そば、「す」ラーメン、「す」スパゲッティ。
「す」カレーなんてのも・・・
(すうどんは言うけど、他は言わないですよね・・・
    でも家じゃこれが当たり前になってました・・・)
うどん、そば、ラーメンは醤油味。
スパゲッティにいたってはケチャップのみ。
たまに外に食べに行っても、スパゲッティやうどん、カレーはたのむんじゃなーい!と叱られました。ラーメン屋さんは行かなかったなぁ・・・
だから高校の時までずっと、スパゲッティなんてただのオレンジ麺、うどんもそばも具なしのつけ麺、カレーにお金出すなんて信じられませんでした。

大学生になって初めて友達と外食したときのこと・・・
美味しいスパゲッティ屋さんがあるから行こうと言われました。
ケチャップ麺と思ってたから「え~・・・」と思いつつ着いていったら、なんということでしょう。いろんなスパゲッティがあってびっくり。
世の中にこんなものがあったのか・・・と本当に驚きました。
初めて食べるスパゲッティに感動してたら、一緒に行った友達が今まで食べたことなかったの?と聞いてきました。

家ではスパゲッティと言ったらただのオレンジ麺。たまにそこの上にミートソースがかかっていて、あまりおいしくないイメージだったと言ったらものすごく笑われてしまいました。しかも家では、オレンジ麺だけのものも、オレンジ麺にミートソースかかってるものもナポリタンと呼んでいました困った
赤っ恥かいちゃいました。

肉が嫌いな母のかわりに肉料理を作ってくれてた新潟のおばさん。
その料理の中で一番困ったのは、得意と豪語するロールキャベツ。
自慢げに作っては「食べて~。」なんて言って持ってくるけれど、どこで間違ったのかいつもまずい。一口食べると吐き気が・・・
おばさんは平気な顔して食べてるけどみんなに評判悪く、それをどう伝えていいものやら困っていました。
東京「まずいんだよ~。」と電話で話すと、「夏に集まった時おいしいロールキャベツ作ってやるから待ってなさい。」と言われました。
ドキドキしながら過ごした数ヶ月間。
そして夏。
東京のおばさんのロールキャベツは本当に美味しい。
ムッとした新潟のおばさんの顔は今でも忘れられません。
新潟のおばさんに何を入れて作ってたのか聞いても教えてはくれなかったけど、きっと「す」が入ってんだよと東京のおばさんは言っていました。
またしても「す」・・・

そういえば弁当屋兼うどん屋のアルバイトをしてたとき、初めて麺つゆを作ることになり「みりん」と「す」を間違って入れてしまったんです・・・
またまた「す」・・・
味見の時まずくてどうしようかと思ったけど、間違いに気付かずにそのまま。
しかもバイトが終わるときだったのでそのまま引き継いできました。
店は大量に作ったつゆで、半日うどんやそばを作って出してたみたい。
残す人多いなぁとしか考えていなかったようです。
後で間違いに気付いたけど、今まであまり言わないできました。
もう時効だよね???

それにしても「す」ってすごいパワーですね・・・